スタッフコラム Vol.3 – “遊び心”の大切さ

by 宮木 健輔(コンサルタント)

■「もっと遊べ」

「真面目だなあ、もっと遊べ」

最近、私にとってメンターにあたる方々から相次いで言われました。

自分自身、自分のことを真面目なタイプだと思うし、周囲もそう思っていることに疑いはありません。

「真面目でいいじゃないか」

しかし待てよ、と。

相次いでそのようなアドバイスをもらうと、自分を振り返らざるをえません。

これはもしや“真面目”という価値観に対する私の認識を修正しなければいけないのでは、と。

「真面目で何が悪い」

そこに見え隠れするのは、「自分は間違っていない、自分の信念は正しい」という頑なさ。

もしもそうなら、これではいけない、そう直観的に感じたのです。

■ 遊び心とは

19世紀オランダの文明批評家・ホイジンガは、人間を「ホモ・ルーデンス」と名付けました。その意味は「遊戯人」。

ほかの動物と比べて人間の文化は「遊びの精神」から生まれたものであると主張しています。

日本でも、平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄』に次のように詠まれています。

遊びをせんと生まれけん 戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子どもの声きけば わが身さえこそゆるがるれ

(人とは、遊びをするように生まれてきたのではないか。

その証拠に子どもの声を聞くと、私もおのずから体が動いてしまう)

自分と他者・環境を分け隔てることなく、「一元」として感じるあり方がこのように表現されるのでしょうか。本来、人とは仲間や他者と交わり合うことが楽しいと感じる存在なのでしょう。

「一緒にいると楽しいな」「ユーモアのある人だな」

私たちの周りにもいる、素敵な大人が持ち合わせている心持ちが、「遊び心」。

 ・積極的に面白がる姿勢

 ・品やゆとりある包容力

 ・他者との共感を笑いに変えるユーモア

遊び心ある、楽しい、かっこいい大人。本気で遊ぶ大人。

■遊び心が失われる時

車のハンドルには必ず遊びがあります。適度に遊びがあることでハンドル操作のブレが吸収され、緊張状態から解放され快適なドライブを楽しむことができます。

遊びのないハンドル=生真面目さ

遊びを持たない心が暴走すると、その「あり方」は途端に緊張状態、対立・対決の構造へと変貌してしまい、自らを制御することがとても難しくなってしまいます。

何かに固執する頑なさから、自分と他者・環境がかけ離れていく不安定さ。

故・児玉清氏が、コラム記事(成熟しない大人に真の「遊び心」は生まれない)の中で、以下のように述べています。

なんと殺伐とした世の中なんだろう、と、このごろは外へでるたびに痛感させられる。

 (略)

誰もが、自分のことを考えるだけで精一杯。他人のことを考えたり、おもんぱかったりする余裕などまったくない。だから殺伐とした冷たい風が世間を吹き抜ける。なにか社会全体が潤滑油をかいた機械のように軋んだ音を発している。そこで、しきりに思うのは『遊び心』の大切さだ。人間が遊び心を失うと、どんな世の中になるのか、今の日本の社会の現状はまさにそのことを証明している。

この場合の「遊び心」とは、人間の社会との協調性を意味している。つまり他人と協調し融合する能力を身につけているか、どうかということだ。

 (略)

成熟しない大人たちの世界に、真の「遊び心」は決して生まれない。

■遊び心という“秘宝”を

二元論に代表される、分断、自分と他人、善と悪…、こんな世界のあり方が、遊び心という“秘宝”を用いればこれまでとは全く違う新しい世界となって立ち現れるかもしれません。

まずは近しい仲間に温かい眼差しを向けてみよう、いたずらっぽく笑いかけてみよう。

一緒にいるその時々、その場その場を、本気で面白がってみよう。

私たちは、誰一人例外なくこの“秘宝”を宿しているのですから。

そしていつか、遊び心ある、楽しい、かっこいい大人、本気で遊ぶ無邪気な大人になれたらいい。